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セミリタイアで得られる「慢性的な幸せ」と「慣れ」




 

最近、ブログ経由で嬉しいお問い合わせがありました。

 

私と同じく既にセミリタイアをされた方で、「セミリタイア 退屈」と検索したところ当ブログに辿り着き(笑)、一種のシンパシーを感じてくれたそうなのです。

 

これぞロングテールSEO、ブログ冥利に尽きますし、やっぱり何でも記事にしておくものですね。

 

その方はいくつかの事業を経営しているらしく、仲間もいるわけですから、決して承認欲求が満たされていないわけでもありません。

 

【セミリタイア】満たされない承認欲求との付き合い方
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最近は将来に渡って熱中できるものを探しているとのことでした。

 

経済的にも成功しているのに、それでも尚、“何か”を探し求めてしまうのでしょう。

 

いや、わかりませんけど、わかるような気もします。

 

セミリタイアで得られる「慢性的な幸せ」と「慣れ」

私がセミリタイアに憧れていたのは、たった一度の人生、好きな時に・好きな場所で・好きな人と・好きな事をしたいと思ったからです。

 

そして、本業・副業・投資に励み、年齢の割にはまとまった資産を築けたので、決して余裕はありませんでしたが有言実行しました。

 

控え目に言っても、セミリタイアは私の人生をより満足度の高いそれに変えてくれたでしょう。

 

現在、「幸せか不幸せか」と質問されれば「幸せだ」と答えられますし、昔に戻りたいとは全く以って思いません。

 

ただ、セミリタイアしてから1年近くが経過しますが、脳内で幸福物質が最も分泌されていたのは会社を辞める前後だったと思います。

 

世界が驚くほどキラキラして見えて、まるで生まれ変わったような気分でした。

会社を辞めた理由の話

 

経済学の重要な概念に「限界効用逓減の法則」があります。

 

モノやサービスを1単位追加して消費することによる効用は、消費量が増えるにつれて小さくなるという考え方です。

 

セミリタイアも、それ自体で得られる「慢性的な幸せ」というのは刺激としては弱いため、すぐに「慣れてしまう」ものです。

 

いや、セミリタイアに限らず、全ての「慢性的な幸せ(素敵な恋人ができたとか)」はそういうものなのかもしれません。

 

そのため、そんなものはないとわかっているのですが、私自身も“人生を劇的に変えうる何か”を探し求めてしまいます。

 

私がこのブログで“セミリタイア中”ではなく“プチセミリタイア中”という言葉を使うのは、恐らく、そういった期待が表れているのです。

 

では、例えば事業を頑張ってもっとお金を稼げば、より刺激的で幸せな日々が手に入るのでしょうか。

 

「楽しい」「面白い」と感じることのできる事業であれば、きっと悪くない選択肢だと思います。

 

一方で、経済的には一定以上の収入がある場合、それ以上稼いでも幸福度に影響がないことは既に証明されています。

 

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個人的にも、数千万円の高級外車に乗りたいとは思わないし、別に数億円の豪邸に住みたいとも思いません。

 

手軽な幸せは全て幻想である

私達が生活している高度化された社会では、幸せを感じたいと望む人のためにいたるところで手軽な方法が用意されています。

 

自己啓発、新興宗教、薬物、出会い系サイト、私からすれば高級外車や豪邸もそうですし、どれも幸せになりたいと望む人にとっては手軽なツールでしょう。

 

しかし、私達は「手軽な幸せ」が全て幻想であることを知っています。

 

セミリタイア生活もそうですが、あまり欲張らず、これまでの人生で積み重ねてきた結果から得られる「慢性的な幸せ」と「慣れ」をどこかで受け入れるべきなのかもしれません。

 

足るを知る者は富む、ということです。

 

あとがき

日中、ずっと雨が降っていました。

 

いつものように昼頃起きて、お腹が空いていたので遅めのブランチを取りに街へ出かけます。

 

雨が振っているのに街がスーツ姿のサラリーマンで溢れかえっているのは、今日が平日だからです。

 

見慣れた景色を歩いていると、道端で傘を差しながら携帯電話で話し込んでいる同年代のサラリーマンとすれ違いました。

 

電話相手の上司?取引先?に必死で謝っていて、電話相手には見えていないにも関わらずペコペコと頭を下げています。

 

地面に置かれたバッグは雨でビショビショに濡れていますが、何か、仕事で重大なミスでも犯してしまったのでしょうか。

 

気の毒だなと思いつつも、私は既に別のことを考え始めていました。

 

「今日は雨か。よし、夕方の予定はキャンセルして、家で映画を観よう。」

 

幸せとは常に相対的なものであり、人間は犬や猫とは違い必ず何かと比較して「幸せ」「不幸せ」を感じる生き物です。

 

私は心の中で彼にお辞儀をして、近所のTSUTAYAへ向かうことにしました。

 

雨は嫌いですが、たまには悪くありません。

 

今日は以上です。

コメント

  1. さわだひろこ より:

    こんにちは 人は慣れてしまうものなのでしょうね。

    幸せの価値観も人によって違っているので高級車や豪邸に住んで幸せを感じる人もいるのでしょうね。

    慢性的な幸せや慣れが感じる人は幸せなんだと思います。
    応援して帰りますね。

    • 管理人 管理人 より:

      さわだひろこ さん

      コメントありがとうございます!

      よくわかりませんが、そうかもしれないですね。