のーまねー、のーふりーだむ

「副業のアフィリエイト」や「資産運用のインデックス投資」など。20代で5,000万円貯まったので一旦プチセミリタイア中。


【セミリタイア】満たされない承認欲求との付き合い方

2017/05/06

【セミリタイア】満たされない承認欲求との付き合い方

 

いつものようにネットの海を華麗にサーフィンしていると、気になるタイトルの記事を発見しました。

 

あり余るほどのお金と時間を手にし、心を病む人たち 第84回 貢献感を得たいという人間の本能的な欲求

 

セミリタイア生活を送っている人間にとってはありがちですが、それだけに深刻な問題でもあります。

 

何やら既視感があるなと思ったら、リアルでも過去に似たような方と出会っていて、ブログにも書いていました。

 

【若き成功者?】月収500万アフィリエイターの憂鬱

 

話を戻しましょう。

 

ある社長からこんな相談を受けたことがある。20代前半で起業し、そこから寝る間も惜しんで働いて、今ではほとんど何もしなくても毎月数百万円の収入が入ってくる仕組みを作った。

毎日、あくせく働くこともなく、好きな時間に起き、好きな物を食べ、好きな車に乗って、好きな家に住む。海外の国々を次から次へと回り、行きたいところには行こうと思えば行ける。

夜な夜なパーティや飲み会に出かけ、飲んで楽しく騒ぐ。そういう生活を1年ほど続けている。

 

相談者は絵に描いたような成功者であり、一見するとそれは誰もが羨むような生活かもしれません。

 

お金の心配もなく悠々自適に暮らしているようで羨ましいなと思ったのですが、眩しいほどのサクセスストーリーもすんなりハッピーエンドとはいなかったそうです。

 

彼曰く、

 

「今、生きている意味が感じられないんです。ぶっちゃけ、死にたいです」

 

とのこと。

 

いい年こいた大人が生きている意味を考え始めるのは相当ヤバいし、側にいるなら今すぐに抱きしめてあげたいくらいの典型的な鬱状態です。

 

実はこういった相談は少なくない。これまでに何件もよく似た話を聞いている。社長というのはビジネスのやり方によってはあり余るほどの収入と時間を手にするようになることがある。

「仕事をする目的、それは収入を得ること」

そういった価値観のもとに仕事をしていると、仕事をしなくても十分な収入が手に入るようになると仕事をする必要性を感じなくなり、そして仕事をしなくなる。一見すると憧れるような状況かもしれない。

しかし、そういった状況が1年も続くと鬱っぽい症状になる人もいる。なぜそんなことになってしまうのか。その原因の1つとして、貢献欲求が満たされていないということが挙げられる。

人は他者や社会の役に立っているという貢献感を得たいという欲求を持っている。この欲求を貢献欲求と呼んでいる。人は誰かの役に立っていることを実感することで、自らに価値を感じることができるという性質を持っている。

 

ドキッとしました。

 

セミリタイア生活に突入してまだ1年未満の私ですが、「仕事をする目的、それは収入を得ること」だと思っているからです。

 

その後、相談者の彼はボランティア活動に参加することを勧められ、そこで貢献欲求を満たすことにしました。

 

数ヵ月後には、

 

「今ではずいぶん慣れてきました。日々、生きている感じがします」

 

と話すくらいには回復します。

 

“生きている感じがする”には恐怖すら感じますが、とりあえず良かったですね。

 

彼は経済的な自由こそ手に入れましたが、精神的には酷く不自由です。

 

これからも意識的に貢献欲求を満たし続けなければ、普通に生きていくことすらままならないのでしょうか。

 

個人的には、「ボランティア活動に参加する」というあまりにもインスタントでコンビニエントな対処療法にはケミカルドラッグ的な気持ち悪さを覚えます。

 

それでも尚、心を揺さぶる話だと思うのです。

 

セミリタイア後は承認欲求が満たされない

冒頭の記事では「承認欲求」でなく「貢献欲求」という言葉が使われています。

 

結局そういう話に辿り着きそうではあるのですが、まずは「承認欲求」との付き合い方について考えてみましょう。

 

セミリタイア後は、それまで仕事から受けていたあらゆる苦痛が消え去る一方で、仕事から得られていた他者からの承認という一種の快楽も失います。

 

一度はセミリタイアした人間が経済的な理由以外で再び働き始めるという話はよく見聞きしますが、これは承認欲求を満たすため(他者からの承認が欠乏している)というケースが多いのかもしれません。

 

働きたくないからセミリタイアしたはずなのに、満たされない承認欲求に抗えずまた働き出すというのは喜劇的です。

 

さぁ、克服しましょう。

 

承認欲求が強いと不自由になる

日本でもベストセラーになった『嫌われる勇気』で有名なアドラー心理学は承認欲求を否定しました。

 

他者からの評価に束縛されるのは他者の人生を生きているようなものであり、かけがえのない自分の人生を自由に生きているとは言えません。(承認欲求は不自由に繋がるというわけです)

 

著書では承認欲求への処方箋として[課題の分離]=他者の課題に踏み込まない、自分の課題に踏み込ませない、という大層な概念が登場します。

 

「君が僕をどう思うかは君の問題だ。僕の問題ではないから、それについて僕が考えるのは意味のないことだよ。」的な、春樹の小説に出てくる主人公が言いそうなやつです。

 

ただ、アドラー先生は過激なリバタリアンのように1人で好き放題・自己中心的な人生を送ればそれでいいんだと言っているわけではありません。

 

生きていく上で大事なのは他者からの評価ではなく、主観的で実感的な[貢献感]だと考えているのです。

 

「承認欲求とかマジどうでもいいんだけど、自分で勝手に貢献してるとそこに[共同体感覚]が出てきて、そういう居場所があると最高にいい感じだぜ!」的な、なかなかのコミュニタリアニズムっぷり。

 

とにかくアドラー先生によれば「貢献」だけではなく「共同体」というのもキーワードみたいですね。

 

実は読んだことがないのでわかりませんが、大体そんな感じではないでしょうか。

 

 

ゆるく、どこかで、誰かと、何かをやってればいい

恐らく私にも人並みに承認欲求はあるわけですが、無職・ニートのような生活をしているだけでそれが満たされるほど人生は甘くありません。

 

それでも私が人並みに幸せなセミリタイア生活を送れているのは、(無意識ですが)アドラー的な表現をすれば貢献感も共同体感覚も持っているからです。

 

実際は、ただ引きこもっていたり暇過ぎるのもアレなので、適当にゆるくどこかで誰かと何かをやってるだけなんですけどね。

 

セミリタイア後は承認欲求を満たそうと思っても〈少なくともバリバリ働いていた頃のレベルでは〉難しいわけですから、取り急ぎアドラー的な教えに従って承認欲求など必要ないと信じ、それを満たそうとするのもやめましょう。

 

代わりに、雑ですが「ゆるく、どこかで、誰かと、何かをやってればいい」と思います。

 

そこでは求める側ではなく与える側になる意識でいれば(貢献感)、自然と所属感らしきものが出てきて、なんか気付いたら幸せになれちゃうのが人間なのです。

 

あくまでも「ゆるく」、共同体と言っても会社で働いていた時のように自分をそこに隷属させたり、共同体のために自分の自由や権利を犠牲にする必要はありません。

 

手軽だから(?)無理して(?)薬物的に(?)ボランティアやアルバイトをするのもいいですが、所属感を抱けるのであれば趣味とか遊びの集まりでも、限りなく概念的なそれでも問題ないわけです。

 

多分、そこに貢献と共同体があれば目的を持って何かをやる必要すらないのでしょう。

 

最後に

冒頭で紹介した記事では、最後に以下のような問題提起がされていました。

 

定年退職を間近に控えた方、あるいは定年退職された方と話していると、「対価はゼロでもいいから、人や社会の役に立てる機会が欲しい」という声をよく聞く。これは仕事が持つ意義が収入だけではないことを物語っている。

仕事は貢献欲求を満たすための大事な手段である。そのため、定年退職して仕事がなくなるというのであれば、何か別の形で貢献欲求を満たす機会を作る必要がある。それは心を健康に保つために極めて重要なことである。

昨今、人工知能をはじめとする科学技術が急速に進歩している。今後、多くの仕事が自動化され、人が関わらなくてもできるようになる。それによっていつか人間は仕事から解放される時が来るのかもしれない。

それは人間が貢献欲求を満たす大切な機会を失うことを意味する。そうなった時、果たして人間は自らの存在意義や価値を感じ、健全な精神状態を保つことができるのだろうか。そんな懸念を抱く。

科学技術の開発が想像を超える速さで進み、仕事を取り巻く環境が劇的に変化していくこれからの時代、貢献欲求という人間の本能的な欲求を考えると、「人の役に立つ、社会の役に立つ」という仕事本来の意味を改めて考える必要があると強く感じる。

 

欲求を満たす手段が必ずしも仕事である必要はありません。

 

ゆるく、どこかで、誰かと、何かをやってればいいと思います。

 

それくらいで、まーまー幸せになれるのではないでしょうか。

 

今日は以上です。

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