偶然にも雨の降る日曜日だった昨日、ブログのお問い合わせフォームから嬉しいメッセージが届きました。
私と同じ時期に会社を辞めて独立された方で、奇特なことにどうやらこのブログに一種のシンパシーを感じてくれたみたいなのです。
ご覧の通り大したブログではないのでなんか申し訳ないなと思いつつ、褒められて嬉しくない人間というのはあまりいません。
ご本人のご意向で詳しい内容はご紹介できないのですが、新しくスタートした第2の人生こそが彼にとっては本当の人生でした。
その文章は非常に力強く、希望に満ち溢れており、殊更に充実していることが伝わってきます。
読んでいるだけで不思議とこちらまで元気になるような気持ちの良い内容でした。
ふと、私自身が会社を辞めて自由になった時のことを思い出して、なんだか懐かしい気分にもなりました。
とても甘酸っぱくて、ちょっぴり恥ずかしい、大切な青春です。
私が会社を辞めた理由
当時は20代後半ということで、勤めていた会社では中堅的な雰囲気が漂い始めていました。
会社そして社会に対する理解も深まり、仮にこのまま定年まで勤め上げるとして「最高のパターン」と「最悪のパターン」がわかってきたのです。
とは言っても、サラリーマンの関心ごとなんて所詮はどこまで出世するか(もしくは出世できないか)程度のもので、良くも悪くもまだまだケツの青い20代でしたから、どちらに転ぶ可能性もあったと思います。
私にとって見逃せなかった大き過ぎる問題は、どちらに転んだとしてもその後の自分の姿がはっきりと想像できてしまう気色の悪さでした。
世の中には「先が見えないこと」を悪と捉える風潮すらあるように感じますが、個人的には「20年後や30年後の姿をはっきりと想像できてしまうこと」の方がよっぽど恐ろしく、耐え難かったのです。
それで色々と考えて、よくよく考えたら朝起きるのとかも辛かったので会社を辞めました。
無限の時間を手に入れた万能感
退職時点で必要最低限の収入や貯金はあったものの、こうなると5年後や10年後のことすら全くわからなくなります。
サラリーマンを続けていれば出世しようがしまいが「そこそこの生活」は割と高い確率で約束されていましたが、今となっては「最高のパターン」と「最悪のパターン」の幅があまりにも広過ぎて想像が追いつかないのです。
笑いが止まらないくらい成功するかもしれないし、もうマジで笑えないくらい失敗するかもしませんから・・・。
ただ何故か不安は全然なくて、むしろ退職時は無限の時間を手に入れたような万能感がありました。
馬鹿なのか、軽い躁状態なのか、言うまでもなく両方である可能性が最も高いでしょう。
「人生、あと50年も自由な時間があるのか!何でも出来るじゃん!」
あの時の感覚は一生忘れません。
世界が驚くほどキラキラして見えて、まるで生まれ変わったような気分でした。
“1万時間の法則”というのを聞いたことがあるでしょうか?
何か1つのジャンルに1万時間を費やせば世界でもトップレベルになれるという話です。
仮に1日10時間かけて何かに打ち込めば、私たちは3年くらいで何者にでもなれるということになります。
(アレ、私は5年くらい社畜をやっていましたので、気付かないうちに世界でもトップレベルの社畜になっていたのでしょうか?そして、あなたも。)
もちろん3年くらいで何者にでもなれるなんていうのは話半分の与太ですが、考え方としてはこの上なく美しいと感じました。
弁護士でも医者でも、なりたければなれるのですから。
誰もが持っているリセット願望
良い大学を卒業して、良い企業に入社して、そういう普通の人生も立派だし素敵だなって、今でも思います。
(皮肉ではなくて、心から愛する家族や親戚、友人の多くはそういう人生を歩んでいますので・・・)
私はサラリーマン時代の境遇に不満はありませんでしたから、それはそれで有意義な日々でしたし、周囲の同僚達も決して不幸には見えませんでした。
そんな中、絶対に叶えたい夢があるから退職したとか、どうしても起業したいから退職したとか、そういう感じだったわけでもありません。
私が会社を辞めた理由は、誰もが心のどこかに持っているリセット願望、人としての根源的な衝動を抑え切れなかったのだと思います。(収入や貯金は理由でなく条件)
明日が今日と違うものであって欲しいという、本能的に抗いがたい漂泊への強い憧憬です。
古今東西、世界中の人々が海外旅行に夢中になるのは、無意識のうちに人生の非連続性を求めているからでしょう。
もちろん世界一周をすれば自動的に人生が変わるというものではないし、それは会社を辞めても一緒のことかもしれません。
人生は日々の積み重ねの延長線上にあり、どんなに望んでも、多くの場合そう簡単には変われないのです。
そういうわけで、今も人生を変える体験を探し求め続けています。
今日は以上です。
コメント
こんにちは。
ともちんと言います。
20年30年先が見えている方が怖いって、わたしもそう思います。
きっとこの先も変化しながらとなると思います。
ともちん さん
コメントありがとうございます。
それでこそ人生、という感じだと思います。