どうも、「のーまねー、のーふりーだむ」管理人です。セミリタイアポエムです。
先日、いつのものようにインターネットをパトロールしていると「中年の危機」という見慣れない言葉を発見しました。数年前だったら興味すら持たなかった可能性が高そうですが、気付けば歳を取ったものです。
中年がみえてきてデカい無がみえてくるの、とりあえず家族や子育ては無を二十年くらい遠ざけてくれるけれども、あくまで遠ざけてくれるだけだし、頼り過ぎると全員バグるので、根本的解決とは言えない。が、使える方便ではある。
— p_shirokuma(熊代亨) (@twit_shirokuma) 2018年4月25日
「中年の心の闇」はいつもわからない。
ただし、冒頭ツイートに書かれていた「でかい無」に相当するようなニヒリズムが、伏流水のように自分の足元を流れている予感はあり、「中年の心の闇」が他人事と思えない。中年は、習慣や惰性や立場によって思春期より安定したライフスタイルを構築しているようにみえるが、万物流転、諸行無常のならいのなかでは、しょせんは砂上の楼閣でしかない。
「ふむふむ」とわかるようなわからないような感じで読んだのですが、ギリギリ中年じゃないしまだ関係ないでしょとか思って寝ました。翌日、上記記事へのアンサーみたいな感じで以下の記事がバズっていたのでやっぱり読むのですが、実は身に迫っているかもしれないなと思うわけです。
自分のスペックで遊べるもの全部遊んじゃった感、すごいわかる。自分の中のストックはいろいろあるんだけど、新しい刺激があまりないんですよね。昔は本屋に行くとあんなにいつもワクワクしたのに、今はあまりワクワクしない。かといって新しい面白を探す気力もない。
自分ができることの限界が大体見えてきたというのもある。何十年も生きたおかげでいろんなことができるようになったけれど、大体自分が人生でできることはこれくらいの範疇で、それ以上にはならないんだろうなというのが予想がついてきてしまったというか。
“自分のスペックで遊べるもの全部遊んじゃった感”
既に結構わかる。。
中年の危機について – phaの日記 https://t.co/6KQuxvxRa9
— のーまねー、のーふりーだむ 管理人 (@nmnfcom) 2018年4月29日
先が見える不安、先が見えない不安
中年の危機の正体はよくわかりませんが、逆に若い人なんかは「先が見えない不安」という話をよくします。人によっては仕事のことだったり、恋愛のことだったり、Googleではそういうキーワードで検索している人が多いようです。
一方で、「先が見える不安」という話はあまり聞かないかもしれません。Googleを見てもそんな雰囲気が漂っていますが、一番下に「先が見える人生」という中年の危機的なキーワードがありました。
私の場合、もう先天的に中年の危機的というか、先が見えてしまうことに対する恐怖心はとても強いです。大体こんな感じで歳を取って、大体こんな感じで死んでいくんだろうなというストーリーを事前に知りたくありません。
ちょっといつだったかまでは覚えていませんが、サラリーマン時代前半に読んだ雨の降る日曜日は幸福について考えようという本の中で今でもハッキリと覚えている箇所があります。青年だった私の心を揺さぶる何かがあったのでしょう。
誰もが、不安のない生活を望んでいる。
だが、娯楽(不安)のない人生は堪え難いほど退屈にちがいない。
未来への言いしれぬ不安。
それを人は「希望」と呼ぶ。
・・・
昨日と同じ今日が、今日と同じ明日が永遠に続くとしたら、生きることの意味はどこにあるのだろう?
サラリーマンであれば、×年後には課長になって、×年後には部長や役員になって、駄目だったら課長のままで・・・みたいな先の見えやすさはありますよね。もちろんいいことでもありますが、私は20代後半にして耐えられませんでした。
何か予期せぬイベントが発生してくれないと気分が萎えてしまうんです。だからセミリタイアは人生のリセットボタンでしたし、セミリタイア(無職)のいいところはとにかく時間があるという点に尽きるので、自分でイベントを起こし続ければいいじゃんと。
ただ、この年齢になると、極端な例で言えば「IPO目指して起業しよう!」とか「海外で博士号を取得しよう!」とかそういう大それたことは100%思いつかなくなります。あ、いや、今の私には5人だって雇えませんし、英語なんて全然できませんよ。
そうじゃなくて、昔から周囲の賢い人達を見ていれば自分にそんな能力がないことくらいはわかっていましたけど、若い頃は馬鹿だから何でも頑張ればワンチャンありそうな気くらいはするじゃないですか。そういう超僅かな可能性だけが希望だとも思うんです。
でも歳を取ってくるとそのワンチャンすらもないことが(本当は昔からそうだったとしても)益々リアリティーを持つようになるし、そういう対象が日に日に増えていくわけですよね。Wikipediaによると典型的な症状らしいですけど。
新しい事業に関しても、新しい趣味に関しても、ぼちぼちチャレンジはしています。でも、やっぱり身の丈に合わないようなことはなかなかできませんね。30歳過ぎて大金を失ったり(身体的に)怪我したりとか嫌じゃないですか。
それでも今はそれなりに楽しいからあまり考えずに済んでいるかもしれませんけど、「手を伸ばせば届く新しい何か」を消費しているだけとも言えるので、そのうち刺激がなくなってしまう可能性は十分にあります。
世界一周くらいは楽しいかもしれませんが、三周も四周もして楽しいかどうかは別の話ですから。そうしたら次は宇宙旅行にでも行ければ非連続性もあるけど、なんか自分には無理そうだなみたいな。
近い将来、手持ちの「手を伸ばせば届く新しい何かカード」の補充が切れたら、もう待ったなしです。せっかく(感覚的には)無限の時間を手に入れた万能感に浸っていたのに、中年の危機だけは甘んじて受け入れるしかないのでしょうか。
大事なのは、この虚しさに流されて犯罪とか自殺とか起業とか仮想通貨に全財産ぶっこむとかそういう大きなやらかしをしないように気をつけることですかね。虚無を虚無として受け入れること。しょせん人生なんてこんなものだ。みんな通る同じ道だ。
仮想通貨に全財産を突っ込んだりはしないと思いますし、宇宙旅行も行けなくて構わないんですけど、別に大きなことを成し遂げたいとかじゃなくて、「あー面白かった!では、さよなら!」みたいな感じで人生最後の日を迎えられたら最高ですね。
今日は以上です。
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