先日、久しぶりに会うサラリーマンの友人とお酒を飲む機会がありました。
アラサーの彼は社内でも働き盛りですし、ますます過酷になってきた出世争いにおいてもそれなりに順調そうです。
ただ、聞くところによると勤務先の平均年収は1,000万円を優に超える大企業であるにも関わらず、彼の年収はそれすらも満たしていません。
彼の勤める大企業もまた、ご多分に漏れず年功序列型賃金が色濃く残る前近代的な経営をしているのでしょう。
出世頭でもある優秀な彼より、社内失業者的な40~50代の働かないオジサンの方が高い給料をもらっているというのです。
働かないオジサンの高給を維持するために、有能な若手が低給で搾取されているとも言えます。
 
その問題に話が及ぶと、彼は自分が如何に不当な待遇を受けているかについて口角泡を飛ばし始めました。
私もサラリーマンだった頃、私より働かないオジサンの給料が私より高かったのは最も受け入れがたい現実の1つでしたから、大いに共感します。
働かないオジサンを一方的に侮蔑する彼や私は心が狭いのでしょうか?
そうは思いません。
これは人類が守るべき平等の観念に反するからです。
チンパンジーの世界にも平等は存在する
彼の愚痴を話半分で聞きながら、私は人類の起源であるチンパンジーのことを考えていました。
人間だけではなく、チンパンジーの世界にも平等の観念は存在します。
それは、2頭のチンパンジーを連れてきて、真ん中をお互いが見えるようなガラス窓で仕切った部屋に入れた後、それぞれに餌を与える実験で証明されました。
まず最初に、2頭のチンパンジーにキュウリを与えたところ、どちらのチンパンジーも喜んで食べ始めるそうです。
そして次に、どちらか片方のチンパンジーの餌をリンゴに変えると、事態に変化が起こります。
リンゴをもらえなかった、もう片方のチンパンジーはキュウリを壁に投げつけて怒り出すというのです。
自分のキュウリを取り上げられたわけでもなければ、これまで美味しそうに食べていたキュウリの味が変わったわけでもありません。
しかし、リンゴをもらえなかったチンパンジーは、ガラスの向こうで不当に優遇されてリンゴを手に入れたチンパンジーのことをどうしても許せません。
ガラス窓で仕切った部屋に入れられた自分と相手はたまたまそこに居合わせただけであり、自分だけが不遇な目に遭うのは平等の原則に反するのです。
同じように、会社で働かないオジサンの給料が自分よりも高かったら、それは平等の原則に反しています。
チンパンジーが“不平等な差別”に大して抗議をしたように、冒頭の彼にだって飲み屋で文句の1つでも言うくらいの権利はあるでしょう。
会社における社員は平等じゃない
会社における社員は決して平等じゃありません。
年功序列型賃金というのは正にその典型であり、日本企業というのは会社を挙げて不平等な差別をしていると言ってもいいでしょう。
そして、実験用でリンゴをもらえなかったチンパンジーと同じように、それを不愉快に感じるのは無理もないことです。
非正規雇用者への差別は社会問題にすらなりますが、正社員同士の(特に若手社員への)差別も本来であれば由々しき問題だと思います。
ただ、今後もサラリーマンであり続けるのであれば、良くも悪くも不平等を受け入れていくしかありません。
ふと冒頭の彼に「独立するという選択肢はないのか?」と問うと、自嘲気味に「そこまでは・・・」という按配で無口になってしまいました。
サラリーマンとは対照的なフリーランスの場合、頑張ったら頑張った分だけお金が稼げるのが“良いところ”だと思います。
働いた時間で報酬が決まるわけではありませんが、良くも悪くも平等な世界です。
彼は付け加えます。
「お前は自由でいいよな・・・」
自由とは、“ナニモノ”にも拘束や支配を受けず、自分自身の本性に従うことです。
私も自由に生きることはとても素晴らしいことだと思っていますが、多くの場合、相応の代償を支払う必要があります。
フリーランスで言えば、頑張ったからと言って絶対にお金が稼げるわけではないのが“悪いところ”でしょう。
もし私が彼だったら、やはり迂闊に独立するようなことはできません。
やっぱり、若いうちに本業・副業・投資のトリプルインカムで稼げるだけ稼いで、とっととセミリタイアを決め込むのが良いなと思いました。
今日は以上です。
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