のーまねー、のーふりーだむ

「副業のアフィリエイト」や「資産運用のインデックス+米国高配当株投資」など。20代で5,000万円貯まったので一旦プチセミリタイア中。


セブ島のアイランドホッピング

 

セブ島はフィリピン中部に位置する世界有数のリトート地です。初めて訪れたのは大学生の頃でした。今回で7回目でしょうか。

 

本当はもっと海が綺麗なボラカイ島にでも行こうと考えていたのですが、政府による清掃活動で半年間も閉鎖されていることを知ったのは首都のマニラに到着してからでした。相変わらず行き当たりばったりの旅です。

 

昼前に目が覚めて、特にあてもなく海沿いを歩いていたところ、日に焼けた真っ黒のフィリピン人に声をかけられました。冷やかしついでに話を聞いてみると、格安の料金でアイランドホッピングをしてやるからついて来いと無愛想に言います。

 

アイランドホッピングというのは近海の小さな離島をボートで周るアクティビティの1つです。ツアー会社に依頼すればそこそこの料金で立派な小型船を呼んでくれますが、彼は相場の半額以下で連れて行くと言うのです。

 

普段であればこのようなキャッチについていくことはまずありません。しかし、その日は何故か行ってみたいと思いました。ホテルのルームクリーニングが終わるまでには時間もあるし、何よりも暇を持て余していたからです。

 

小さな船着場のようなところまで連れて来られると、誰が見ても心配になりそうな古びたボートがぽつんと置いてあります。辺りには私達以外1人もいません。てっきり別のフィリピン人に引き継がれるのかと思っていたのですが、どうやら彼がボートの操縦もするそうです。

 

相場より料金が安い理由もわかったところで、すぐにでも転覆してしまいそうなそのボートは出発しました。私はここに来る途中で買っていた缶ビールに口をつけます。船体が軽過ぎて酷く揺れるため、すぐにでも酔ってしまいそうです。

 

脳みそまで溶けてしまいそうな暑さの中、自分が一体どこで何をしているのかよくわからなくなってきました。試しにボートの先端で上半身裸になって寝転がってみると、体に当たる風が気持ち良くて、空は今にでも落ちてきそうです。

 

彼「もうすぐ最初の島に着く。そこでバーベキューをしよう。ランチが終わったらシュノーケリング」

 

私「島には降りなくていいから、ずっと海の上にいて欲しい」

 

彼は一瞬顔をしかめましたが、しばらくすると海上でエンジンを止め、煙草を1本くれと言いました。一服すると、ボートの上に七輪のようなものを用意して、得体の知れない肉を焼き始めます。

 

彼の風貌は20代中頃に見えましたが、話を聞くとまだ18歳だということがわかりました。「Financial Problems」で10歳の頃から学校には通っていないそうです。

 

フィリピンでは英語が公用語なのでほとんどのフィリピン人は流暢な(しかし独特な)英語を話します。しかし、彼のそれはたどたどしく語彙も貧弱でした。

 

5人兄弟の長男、一番下の弟はまだ6歳。異父兄弟だと言います。どちらの父親も既に出て行ってしまい、母親は病気を患っているため働いていません。家族を経済的に支えているのは若干18歳の彼でした。

 

私のような外国人に声をかけてはこのような小ツアーもどきに連れて行き、夜はまた違う商売をしてお金を稼いでいるそうです。どちらにも元締めのような人間がいて売上はピンハネされているし、恐らくフィリピンの物価を鑑みても僅かな金額しか稼げていないでしょう。

 

彼「そういうお前は何の仕事をしてるんだよ」

 

私「今は何もしてない。求職中みたいな感じ」

 

彼「日本で働けば大金を稼げるだろ?オレも日本で働きたい」

 

私「やめた方がいい。海は汚いし、何もかも高くて、みんな苦しそうな顔をしてる」

 

彼「構わないよ。お金さえあれば夢が叶えられるから」

 

私「夢って?」

 

彼「兄弟をちゃんと学校に通わせて、普通の仕事に就かせてやりたい」

 

私「自分の人生についてじゃないんだね」

 

彼「家族の経済的な問題を解決するのがオレの夢なんだ」

 

私「きっと叶うよ」

 

彼「自分の人生についてなんて、考えたこともない」

 

貧しい家族の長男として生まれた瞬間、彼の人生は大きく制限されて始まりました。フィリピンに限らず、発展途上国では別に珍しくもない、ごくありふれた話です。このご時世、日本でも決してない話ではないでしょう。

 

彼の身の上に同情したとか、もしくは家族の絆に美しさを感じたとか、そういうわけではないです。彼の人生は彼自信が評価すればいいし、見知らぬ外国人が採点するものではありません。

 

1つだけ確かなのは、豊かさや貧しさ、結果としての自由・不自由というのは本人の意思とはほとんど関係がないところで決まってしまうということです。そして、それは本当に紙一重の差でもあります。

 

私達が当然のように享受している豊かさは偶然によって得られたものであり、そこには何の必然性もありません。もしその豊かさを失ってしまったとしたら、私達はそれでもまだ自由でいられるでしょうか。

 

別れ際、幾許かのチップを受け取る際に彼が見せた屈託のない笑顔は出会った時とは違い年相応に見えました。

 

今日は以上です。

 

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